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今のこの動画をRUclipsrで見れること自体に感謝しています
叔父が若い頃に佐久間ダムの建造工事で働いてたそうです。でも工事で腰を怪我をしてしまい、不自由になって帰って来たと、父から聞きました。戦後で働く場所も無くて、実家の農業を手伝ってましたが、三男に土地や家が継げるわけもなかったそうです。90歳過ぎて車椅子生活を送ってます。
父がセメント会社でこの工事のために赴任しました。私は小さかったので覚えていませんがあの時代の勢いを感じ、感動!です。
私の父の若い頃が写っていて、感激しました。ありがとうございます😊✨
嘘ついてんじゃねえよ
@@user-mq4yv2rc8f さんへそれが、本当なんです。働いていましたから。父が一生懸命に働いてくれたおかげで今の私があります。父は今も元気にしています。その父から、このRUclipsを知らされました。思い出話にも花が咲きました。私の成人した息子が、父にそっくりでびっくりして、うれしいなあと思い、映像を作ってくださった方々、当時日本を支えてくださった方々へのリスペクト、そして何よりも大切な親への感謝の気持ちを込めてコメントを書きました。
@@まるちゃん-l5p いい話でした・・私も以前よく釣りに行っていたダム湖の建設動画を見て58名もの殉職者が出ていたことを知り次に行ったときに慰霊碑を探してお線香をあげたことが有りましたこうした方々の尊い努力の上に今の豊かな生活が有るんだと考えさせられたものです
誇れるお父さんですね。^_^
@@Sweet-wq7wu 様コメントありがとうございます🙏✨
わりと佐久間ダム近くに住む者です。この時代にこの大プロジェクトをこの短時間で成し遂げた先人の情熱とパワーに感激しました。今度また行ってみようと思います。
OKおk
@@kazuyosh00okじゃないだろ笑
冒頭、岩盤まで掘り下げて、キレイに掃き清めて(磨いている?)、コンクリートを打つ作業、これを徹底してやり遂げるのは日本人だけでしょう。
電源の確保という課題を克服してきたからこその、現在のIT社会。もう電気の無い社会等想像も出来なくなってしまった。先人の労苦への感謝を日々、胸に忘れぬようにと思う。
西オーストラリア州の鉄鉱石鉱山の現場で12年間勤務していましたがこの映像当時の建機、重機を見ると現在の機械類の源を見る想いがします。此処まで身体を張って命掛けの仕事をする事が出来るのは日本人だけです!ありがとうございます!
日本の土木技術の先人達に哀悼の誠を捧げると同時に、感謝の思いでいっぱいです。
本当に凄いな…戦争を経験してこられ、これからの日本の復興の為!と言う思いが関係者それぞれにあったからこんな短期間のうちにこんな大工事が出来たんでしょうね!今なら、安全対策、環境対策、保障、反対運動…云々言って20年経っても出来無いかもしれない。ノーヘル作業や吊荷の上に作業員乗せての組付作業、素手で作業や台風が来てる中での作業等、現在ならとてもじゃないが出来ない。やろうものなら、出入り禁止される。これだけ安全!安全!!と煩く言われるようになった現在でも建設現場では転落、墜落事故や吊荷の落下、足場の倒壊、クレーンやユニックの横転やらかして居ます。当時の人は本当に立派だったと思います。私も施工管理して居ますが、今でも逃げ出したくなることが多いのに…本当に頭が下がります。
今なら、己のした事の責任すら取る事の出来無い馬鹿な、環境サヨクが跋扈していますから。二子玉川の水害事故も、反対の急先鋒に立って居た環境左翼は今、如何にして国の責任にするかで、舌先三寸の言い訳を弄している最中。ソレにのっかった、中国の工作員レンホーは、己の責任を無視して、独りよがりの、政権叩きに夢中で有る。レンホー二はこの他、フクイチ原発事故の責任という重いギルティーも有る。
現場監督さんですか?大変なお仕事ですね。
伝道の書 3: 22:私は人にとって,働く充実感以上の幸せはないのを知った。それが人の得る報酬だからだ。誰も自分の死後,起きていることを見ることはできない。問題は、悪魔が世界を支配していることです。悪魔は嘘つきで殺人者です。これが、欺瞞と暴力が至る所にある理由です。これが、嘘つきと殺人者が快感を覚え、正義の人が迫害される理由です。これが、ヒトラーが権力を握り、キリストが聖職者の告発により「冒涜者」と「反逆者」として処刑された理由です。これが、全世界がソドムである理由です。それが、私たちが神の王国についての福音を持っている理由です。エホバはすべてを整えます。死者は復活し、私たちは愛する人たちに再び会います! :-)
アメリカの技術指導のもととはいえ、また世界銀行からの借金とはいえ我が父祖たちの渾身の努力が、フィルムを通じてひしひしと伝わってくる。
深ーい感銘を受けた。巨大構造物の据え付け現場の工事関係者の達成感もひしひし感じられた。私はどのぐらい国家に貢献できたのだろうか、考えてしまった。今の若い人に見てもらいたい。学校教育でも見せてほしい。技術立国を立て直すためにも。
沢山の殉職者を出しながらつくられたこの佐久間ダム。つくられた皆様方に感謝を捧げたい。
まさに日本の土木技術の凄さに感動しました!10年かかるといわれた工期を3年で完成させるとは!
全部観た。打設完了前に水が堰堤を越えてしまうのは凄いけど、想定しているのも凄い。
これだけの一大事業を、わずか3年で完成させるという、云わば突貫工事で、ある意味、荒療治的ではあるが、決して手抜きをしない緻密な作業と設計、計画は、この時代としては驚く他ない。ましてや、中央構造線上の地盤の脆弱さを考えれば神業に近いのかもしれない・・・。中国の三峡ダムが建設から数年で躯体が変形し、崩壊の危機に迫っている事を考えると、当時の労働者1人1人が、いかに このダムに込めた想いが凄かったかを物語っているようで・・・。2020年となった今もなお、治水、利水や発電事業に大きく貢献しているダムである。先人の努力には頭が下がるばかりである。
ほんと、先人の血と汗と涙の結晶だと思います。つくられた皆様方を褒めたたえたいと思います。
こういう時代が1番、良かったのかもね。人々に愛と活気をとても感じる
この作品が主にコンクリートの混合作成工程シーンから始まるのが興味深い。大きさ別に4段階に分けた砂利、砂、セメント、水分とを巨大なミキサーでぐるぐる混ぜてコンクリートを作り、それがバイブレーターで現場に打ち込まれる。その様子にも佐久間ダムの建設に携わる間組の人々の思いが込められていると感じた。小学校のシーンでは閉校する学校で勉強する子供たちの姿が切なかった。
すごく面白かった、全部見てしまった。ダム建設にすごくお金がかかるのが分かった。これぞ男の仕事。
発破と掘削メインの一部から ひたすらコンクリート打設の第二部へコンクリ―ト練製のバッチャープラントには世界最大級の連続製氷施設が併設され骨材と練り合わせる水温を一定に保ったのですがこれがまたバカみたいに電気を食ってなぁ と関係者の方から聞いたことがあります 移り行く山奥の四季 働く人たちとその家族ふるさとが湖底に沈んでいった人々や 作業中落命された96名の皆様途方もない事業に心を揺さぶられました貴重映像に感謝いたします
現代だと、いくら難工事と言え、工事現場で96名も死者をだしたら建設会社そのものが潰されてしまうでしょうね。この頃だと戦争の生き残り作業員も多かっただろうから、遺族の悲しみも大きかったでしょうね。
18:43~工事車両が近隣の小学生を乗せて、送っていく今じゃ絶対に有り得ない光景だな。
仕事を見るのって好きです。
49:24(初代)豊根発電所の映像だ!初めて見ました。非常に貴重な映像、感動しました!
生徒さん、トラックの荷台へ。いい時代ですね。
当時は国産車より輸入車の性能がすぐれていたので子供を乗せていくLANDROVERのシリーズ1が(電源開発の)頼もしいですね。この時代に輸入されたこの現場で働いていた個体そのものが今も日本国内で現存しています。
Muito bom documntario...bravos operarios💪💪😳😊👏👏👏homedeto...👍👍
技術大国、日本 万歳❗❗
僕が大学でてすぐ高速道路工事に行った頃、図面は英語の略号ばかりだった。Cb-②H=2m,L =32.0mという感じだった😄世界銀行に見せる為全部英語だった。暗号みたいな感じで記号覚えたよ😅
こんな超近代的な土木工事したのに竜神として鯉を祀るの神秘的
何回も見てしまう
水没家屋の解体がすごく丁寧なのは、柱梁などの主要部材を再利用するためなんでしょうか。エコだなあ。小学校の備品、人力運搬なんですね。
すげえ!日本が希望にあふれてた時代ですね。ダムや鉄道開通でみんな笑顔だ。今なら税金の無駄遣いって言われるのに。。
昔は、普通セメントしかなかったのか、熱でひび割れるなのど、苦闘していたんですね!現在は、熱が発生しにくい、低熱セメントや中庸熱セメントやマスコン高炉セメントという物があります。
第2部は初めてみました。ありがとうございました。第1部より面白かったです。昔、大天竜というしこ名のお相撲さんがいましたね。
分教場の勉強の様子が、映画の一場面みたいだ。宅急便も引越バンもなく、人が荷物かついで山道歩いて移動。しかし、約10年後には新幹線、リニアの工事、実験が始まった。
終戦からオイルショックまでの30年間は、戦後復興と高度経済成長と、ハッキリ区切ることなく続き、目まぐるしい発展を遂げましたからね!
セメントトレーラーかっこいいな。粗骨材4種類、細骨材8種類に分類して調合ってすごい繊細なんだな。
昔は工期を分けて湛水していたんですね〜。はじめて見ました。第二部も面白かったです!
バイブもコンプレッサーで動いてたのか...今じゃ考えられんな...ちゃんとレイタンスを取ってから打ちついだりコンクリートを冷却する機構を作ったり素晴らしいなぁ無筋だからこそ高寿命なダムなんだってね。3年じゃ全部できなかったみたいだけど偉業だよね
ブレーカーで何してんのかぁって思った!
当時は当たり前に労災で死ぬ作業員がいたからな。殉職者に捧ぐとか普通に出てくるけど、今じゃ安全管理が第一だから殉職なんて出そうもんなら会社は叩かれるし国からも罰則受ける。美化してるところに時代を感じる。このころの作業員は戦争で赤紙もらった人がほとんどだろうし。
インドから日本への愛🇮🇳🇯🇵
今の日本は、「感動」とか「感激」と言う言葉を忘れてしまったように思います。子どもたちからも伝わって来ないように思えます。先人の皆さんのご苦労を学校教育にも出て来ないようです。何が変わったのでしょうか、疑問を思うのは私だけでしょうか?。
出来て間もないころ父親と見学に行った想い出があります。
”高圧放水菅”も今や「開かずの扉」です。
11:53 ケンワースの1940~49年式シリーズ500かな。この頃になると国産メーカーでも10~20tヘッドを出すが、輸入車の方が性能が段違いだったので土建屋や重量物の運送屋の間では奪い合いになったそう。今また重ヘッドは輸入車がトレンドなので日本の技術力の低下が危うい。
これはエンブレムが逆さになってないので45年以降の物ですね。スーパーチャージャー付いてると275馬力、付いてなくても220馬力です。当時の日本車は馬力多くても150馬力いくかどうかなので奪い合いになる理由も頷けますね。
懐かしい想い出ばかり
thank you
スタッフロールが無いのですが、ひょっとしたら父の名前があるかな?と思いました。記録映画撮りに行ったと聞きましたので。それにしても凄い工事でしたね。戦後そんなに経って無いのに先人の意気込みを感じます。
重量物運搬や建設機械はやっぱりまだアメリカ製が多いですね。重機はキャタピラー、トンネルにいたトレーラーはケンワース?Mac?大型ダンプも恐らくキャタピラー。小松製作所もそれなりにブルドーザー等を作ってたはずだけどここで使ってたのかな?映像では確認できなかった。
40:11コレ足軽の防具じゃないのか
すごい技術だよなぁ
Facinating! This was competed 2 years before I was born 😊 👍
旧飯田線のトンネルは、水位が低いときに顔をだしますよー。
11:52 nice Kenworth (right-hand drive as well?). Which model could that be?
52:42~ まさに壮観
日本国旗を掲げて協力的な国民性は今の日本にはない風景ですね…
ダム祭りに行った思い出
間組の神部社長がちょいちょい出ますが、さすがに若いですね。直接見たのは私の入社式のときが最後でした。
昔の間組は凄かった。今はどうしたの?
ハザマ、今は建築が多くないですか?確か、安藤と合併しましたね。
96人の殉職者。。。
天竜川が山脈に向かって”下って行く”のが解せない。
11:46 すごい 映画 激闘のトレーラに似てる!
the best ⭐️
16:30 の標語は何と書いてあるのでしょうか?「何事も 軽く見○○○ 重い怪我」と見えますが、○が判りません…。
11:46 アメリカのケンワースのトラックが日本で働いているのを見るのは不思議です。 悲しいことに、それはおそらくずっと前に廃棄されました。
「宇部興産 ケンワース」でサーチしてみて下さい。KENWORTH Australia のT610・T609・T608が走っています。
働く土木機械を見るのって、結構好きなんだよなァ(*´ω`*)✨
ロマンがありますよね😊
熊本県の椎葉ダム建設と良く似てます!椎葉ダム昭和28年頃に起工式を動画見て感度しました。まだまだ外国人の技術者に頼る時代でしたか🤔外国人の姿が動画に見れましたよ確かではないですが?その後黒よんダムの経験に生かされたと思います、日本発展の一歩ダム建設から始まったと思います。
平岡よりちょっと北に住んでいます。1000kwで1人って言われた時代ですからね。凄い時代です。高熱隧道で有名な黒三ダム隧道貫通工事の資料はありませんか?
旧飯田線の佐久間トンネルは、どうやって閉塞したのだろう?私には、分かりません。それにしても、水没前の飯田線旧線一度乗車したかった。
映画「ふるさと」を思い出す
殉教者 96名か、行きたいな。
自分の血液を町の血液買取所に売って、生計を維持していた時代。
今ならダム建設反対~!から始まるんだよなしかも工期よりずっと長い間・・
トレーラーはアメリカ製
殆どの技術は米国からのものなんでしょうけどね。 砂利サイズの呼称にインチ法を用いているのに象徴されている感じ。当時の土木作業員の皆さんにとっては、目から鱗状態だったかもですがこのプロジェクトの成功が、後々の我が国の土木機械製造に絶大きなインパクトを与えたのは間違い無いでしょう。まあ、既に米国では戦前の20年前にフーバーダムを完成させており、そのノウハウ、機材がふんだんに注ぎ込まれたとゆっても過言ではないでしょう。スイスのダムでは佐久間ダム程には岩盤工事を施していないようですが、元々の岩盤の信頼性が日本のそれとは比較にならぬくらいに頑丈なんだろうと、うらやましく思いますね。ダムと一口にゆっても、その付帯工事は半端ない規模となるのが良く判りますね。 佐久間ダム周辺の天竜川からは、良質なコンクリート用の砂利、砂が採れたことも、これだけのコンクリートを打ち込めた背景になっていると思います。トンネル工事にジャンボとゆう削岩マシンをもちいており、どうもこれは我が国のアイデアみたいですね。 今日では巨大なシールドマシンにより、硬い岩盤でも何なく掘り進んでいきますが、、、
この頃から今も週休1日制って変化ないんだよね。
建設現場は、そのようですね。
そのかわり残業がほぼ無くて、大雨は休みのイメージ
第3部は!?!?
40:09 足軽の鎧、胴と陣笠じゃないか? 御先祖様の大切な物を、、、いや、あれはヤラセだな。
諦めたんだと思いますよ。この頃は文化財的な意識も今ほど高くはなかったでしょうし、引越しも今みたいなトラック輸送じゃないですからね。
空想だけどこの水を大井川に分けてやれればなぁ
車両という車両が、ほとんどアメリカ資本。
当時、小松などの国産機械も堤体の本工事に投入されましたが、過酷な現場に次々故障して工程を遅らせることから嫌がられ、それらは付属道路の整備などに移された結果、本工事は米国製の機械しか残らなかったようです。きっとアトキンソン社が持ち込んだものや進駐軍工兵部隊の払い下げ、建設省や電源開発、間組が輸入したもの等、様々な出所の機械が混在していたことでしょう。その結果、過酷な現場を多数抱えるゼネコンらは米国製を信頼するようになってしまい、中には輸入を専門に請け負う子会社を作ってしまう会社もありました。このことからも、今では世界で信頼される日本製ですが、当時は現在のアジア製並みの扱いだったという事実が垣間見えますね。
48:46 わざと浮かべました
鯉は生きてるかも
両親が生まれる前だ!
❤🧡💛💚💙💜🤎🖤🤍
お!間組第2段じゃあねーかよ。この野郎~😁
鯉の放流の仕方が雑笑
ナレーションが1部に比べて,戦時中のような話し方なので違和感が …
48:44 この頃からヤラセ演出があったんだな…。
今のこの動画をRUclipsrで見れること自体に感謝しています
叔父が若い頃に佐久間ダムの建造工事で働いてたそうです。でも工事で腰を怪我をしてしまい、不自由になって帰って来たと、父から聞きました。戦後で働く場所も無くて、実家の農業を手伝ってましたが、三男に土地や家が継げるわけもなかったそうです。90歳過ぎて車椅子生活を送ってます。
父がセメント会社でこの工事のために赴任しました。私は小さかったので覚えていませんが
あの時代の勢いを感じ、感動!です。
私の父の若い頃が写っていて、感激しました。ありがとうございます😊✨
嘘ついてんじゃねえよ
@@user-mq4yv2rc8f さんへ
それが、本当なんです。
働いていましたから。
父が一生懸命に働いてくれたおかげで今の私があります。父は今も元気にしています。その父から、このRUclipsを知らされました。思い出話にも花が咲きました。私の成人した息子が、父にそっくりでびっくりして、うれしいなあと思い、映像を作ってくださった方々、当時日本を支えてくださった方々へのリスペクト、そして何よりも大切な親への感謝の気持ちを込めて
コメントを書きました。
@@まるちゃん-l5p いい話でした・・
私も以前よく釣りに行っていたダム湖の建設動画を見て58名もの殉職者が出ていたことを知り次に行ったときに慰霊碑を探してお線香をあげたことが有りました
こうした方々の尊い努力の上に今の豊かな生活が有るんだと考えさせられたものです
誇れるお父さんですね。^_^
@@Sweet-wq7wu 様
コメントありがとうございます🙏✨
わりと佐久間ダム近くに住む者です。この時代にこの大プロジェクトをこの短時間で成し遂げた先人の情熱とパワーに感激しました。
今度また行ってみようと思います。
OK
おk
@@kazuyosh00
okじゃないだろ笑
冒頭、岩盤まで掘り下げて、キレイに掃き清めて(磨いている?)、コンクリートを打つ作業、
これを徹底してやり遂げるのは日本人だけでしょう。
電源の確保という課題を克服してきたからこその、現在のIT社会。
もう電気の無い社会等想像も出来なくなってしまった。
先人の労苦への感謝を日々、胸に忘れぬようにと思う。
西オーストラリア州の鉄鉱石鉱山の現場で12年間勤務していましたがこの映像当時の建機、重機を見ると現在の機械類の源を見る想いがします。此処まで身体を張って命掛けの仕事をする事が出来るのは日本人だけです!ありがとうございます!
日本の土木技術の先人達に哀悼の誠を捧げると同時に、感謝の思いでいっぱいです。
本当に凄いな…
戦争を経験してこられ、これからの日本の復興の為!と言う思いが関係者それぞれにあったからこんな短期間のうちにこんな大工事が出来たんでしょうね!
今なら、安全対策、環境対策、保障、反対運動…
云々言って20年経っても出来無いかもしれない。
ノーヘル作業や吊荷の上に作業員乗せての組付作業、素手で作業や台風が来てる中での作業等、現在ならとてもじゃないが出来ない。
やろうものなら、出入り禁止される。
これだけ安全!安全!!と煩く言われるようになった現在でも建設現場では転落、墜落事故や吊荷の落下、足場の倒壊、クレーンやユニックの横転やらかして居ます。
当時の人は本当に立派だったと思います。
私も施工管理して居ますが、今でも逃げ出したくなることが多いのに…
本当に頭が下がります。
今なら、己のした事の責任すら取る事の出来無い馬鹿な、環境サヨクが跋扈していますから。二子玉川の水害事故も、反対の急先鋒に立って居た環境左翼は今、如何にして国の責任にするかで、舌先三寸の言い訳を弄している最中。ソレにのっかった、中国の工作員レンホーは、己の責任を無視して、独りよがりの、
政権叩きに夢中で有る。レンホー二はこの他、フクイチ原発事故の責任という重いギルティーも有る。
現場監督さんですか?大変なお仕事ですね。
伝道の書 3: 22:
私は人にとって,働く充実感以上の幸せはないのを知った。それが人の得る報酬だからだ。誰も自分の死後,起きていることを見ることはできない。
問題は、悪魔が世界を支配していることです。悪魔は嘘つきで殺人者です。これが、欺瞞と暴力が至る所にある理由です。これが、嘘つきと殺人者が快感を覚え、正義の人が迫害される理由です。これが、ヒトラーが権力を握り、キリストが聖職者の告発により「冒涜者」と「反逆者」として処刑された理由です。
これが、全世界がソドムである理由です。
それが、私たちが神の王国についての福音を持っている理由です。エホバはすべてを整えます。死者は復活し、私たちは愛する人たちに再び会います! :-)
アメリカの技術指導のもととはいえ、また世界銀行からの借金とはいえ我が父祖たちの渾身の努力が、フィルムを通じてひしひしと伝わってくる。
深ーい感銘を受けた。巨大構造物の据え付け現場の工事関係者の達成感もひしひし感じられた。私はどのぐらい国家に貢献できたのだろうか、考えてしまった。
今の若い人に見てもらいたい。学校教育でも見せてほしい。
技術立国を立て直すためにも。
沢山の殉職者を出しながらつくられたこの佐久間ダム。つくられた皆様方に感謝を捧げたい。
まさに日本の土木技術の凄さに感動しました!10年かかるといわれた工期を3年で完成させるとは!
全部観た。
打設完了前に水が堰堤を越えてしまうのは凄いけど、想定しているのも凄い。
これだけの一大事業を、わずか3年で完成させるという、云わば突貫工事で、ある意味、荒療治的ではあるが、決して手抜きをしない緻密な作業と設計、計画は、この時代としては驚く他ない。ましてや、中央構造線上の地盤の脆弱さを考えれば神業に近いのかもしれない・・・。中国の三峡ダムが建設から数年で躯体が変形し、崩壊の危機に迫っている事を考えると、当時の労働者1人1人が、いかに このダムに込めた想いが凄かったかを物語っているようで・・・。2020年となった今もなお、治水、利水や発電事業に大きく貢献しているダムである。先人の努力には頭が下がるばかりである。
ほんと、先人の血と汗と涙の結晶だと思います。つくられた皆様方を褒めたたえたいと思います。
こういう時代が1番、良かったのかもね。人々に愛と活気をとても感じる
この作品が主にコンクリートの混合作成工程シーンから始まるのが興味深い。大きさ別に4段階に分けた砂利、砂、セメント、水分とを巨大なミキサーでぐるぐる混ぜてコンクリートを作り、それがバイブレーターで現場に打ち込まれる。その様子にも佐久間ダムの建設に携わる間組の人々の思いが込められていると感じた。小学校のシーンでは閉校する学校で勉強する子供たちの姿が切なかった。
すごく面白かった、全部見てしまった。ダム建設にすごくお金がかかるのが分かった。これぞ男の仕事。
発破と掘削メインの一部から ひたすらコンクリート打設の第二部へ
コンクリ―ト練製のバッチャープラントには世界最大級の連続製氷施設が併設され
骨材と練り合わせる水温を一定に保ったのですが
これがまたバカみたいに電気を食ってなぁ と関係者の方から聞いたことがあります
移り行く山奥の四季 働く人たちとその家族
ふるさとが湖底に沈んでいった人々や 作業中落命された96名の皆様
途方もない事業に心を揺さぶられました
貴重映像に感謝いたします
現代だと、いくら難工事と言え、工事現場で96名も死者をだしたら建設会社そのものが潰されてしまうでしょうね。この頃だと戦争の生き残り作業員も多かっただろうから、遺族の悲しみも大きかったでしょうね。
18:43~工事車両が近隣の小学生を乗せて、送っていく今じゃ絶対に有り得ない光景だな。
仕事を見るのって好きです。
49:24
(初代)豊根発電所の映像だ!初めて見ました。非常に貴重な映像、感動しました!
生徒さん、トラックの荷台へ。いい時代ですね。
当時は国産車より輸入車の性能がすぐれていたので子供を乗せていく
LANDROVERのシリーズ1が(電源開発の)頼もしいですね。この時代に輸入されたこの現場で働いていた個体そのものが今も日本国内で現存しています。
Muito bom documntario...bravos operarios💪💪😳😊👏👏👏homedeto...👍👍
技術大国、日本 万歳❗❗
僕が大学でてすぐ高速道路工事に行った頃、図面は英語の略号ばかりだった。Cb-②H=2m,L =32.0mという感じだった😄
世界銀行に見せる為全部英語だった。暗号みたいな感じで記号覚えたよ😅
こんな超近代的な土木工事したのに竜神として鯉を祀るの神秘的
何回も見てしまう
水没家屋の解体がすごく丁寧なのは、柱梁などの主要部材を再利用するためなんでしょうか。エコだなあ。
小学校の備品、人力運搬なんですね。
すげえ!日本が希望にあふれてた時代ですね。ダムや鉄道開通でみんな笑顔だ。今なら税金の無駄遣いって言われるのに。。
昔は、普通セメントしかなかったのか、熱でひび割れるなのど、苦闘していたんですね!現在は、熱が発生しにくい、低熱セメントや中庸熱セメントやマスコン高炉セメントという物があります。
第2部は初めてみました。ありがとうございました。第1部より面白かったです。昔、大天竜というしこ名のお相撲さんがいましたね。
分教場の勉強の様子が、映画の一場面みたいだ。
宅急便も引越バンもなく、人が荷物かついで山道歩いて移動。
しかし、約10年後には新幹線、リニアの工事、実験が始まった。
終戦からオイルショックまでの30年間は、戦後復興と高度経済成長と、ハッキリ区切ることなく続き、目まぐるしい発展を遂げましたからね!
セメントトレーラーかっこいいな。粗骨材4種類、細骨材8種類に分類して調合ってすごい繊細なんだな。
昔は工期を分けて湛水していたんですね〜。はじめて見ました。第二部も面白かったです!
バイブもコンプレッサーで動いてたのか...今じゃ考えられんな...
ちゃんとレイタンスを取ってから打ちついだりコンクリートを冷却する機構を作ったり素晴らしいなぁ
無筋だからこそ高寿命なダムなんだってね。3年じゃ全部できなかったみたいだけど偉業だよね
ブレーカーで何してんのかぁって思った!
当時は当たり前に労災で死ぬ作業員がいたからな。殉職者に捧ぐとか普通に出てくるけど、今じゃ安全管理が第一だから殉職なんて出そうもんなら会社は叩かれるし国からも罰則受ける。美化してるところに時代を感じる。このころの作業員は戦争で赤紙もらった人がほとんどだろうし。
インドから日本への愛🇮🇳🇯🇵
今の日本は、「感動」とか「感激」と言う言葉を忘れてしまったように思います。子どもたちからも伝わって来ないように思えます。先人の皆さんのご苦労を学校教育にも出て来ないようです。何が変わったのでしょうか、疑問を思うのは私だけでしょうか?。
出来て間もないころ父親と見学に行った想い出があります。
”高圧放水菅”も今や「開かずの扉」です。
11:53 ケンワースの1940~49年式シリーズ500かな。この頃になると国産メーカーでも10~20tヘッドを出すが、輸入車の方が性能が段違いだったので土建屋や重量物の運送屋の間では奪い合いになったそう。今また重ヘッドは輸入車がトレンドなので日本の技術力の低下が危うい。
これはエンブレムが逆さになってないので45年以降の物ですね。スーパーチャージャー付いてると275馬力、付いてなくても220馬力です。当時の日本車は馬力多くても150馬力いくかどうかなので奪い合いになる理由も頷けますね。
懐かしい想い出ばかり
thank you
スタッフロールが無いのですが、ひょっとしたら父の名前があるかな?と思いました。記録映画撮りに行ったと聞きましたので。それにしても凄い工事でしたね。戦後そんなに経って無いのに先人の意気込みを感じます。
重量物運搬や建設機械はやっぱりまだアメリカ製が多いですね。
重機はキャタピラー、トンネルにいたトレーラーはケンワース?Mac?大型ダンプも恐らくキャタピラー。
小松製作所もそれなりにブルドーザー等を作ってたはずだけどここで使ってたのかな?
映像では確認できなかった。
40:11コレ足軽の防具じゃないのか
すごい技術だよなぁ
Facinating! This was competed 2 years before I was born 😊 👍
旧飯田線のトンネルは、水位が低いときに顔をだしますよー。
11:52 nice Kenworth (right-hand drive as well?). Which model could that be?
52:42~
まさに壮観
日本国旗を掲げて協力的な国民性は今の日本にはない風景ですね…
ダム祭りに行った思い出
間組の神部社長がちょいちょい出ますが、さすがに若いですね。直接見たのは私の入社式のときが最後でした。
昔の間組は凄かった。今はどうしたの?
ハザマ、今は建築が多くないですか?確か、安藤と合併しましたね。
96人の殉職者。。。
天竜川が山脈に向かって”下って行く”のが解せない。
11:46 すごい 映画 激闘のトレーラに似てる!
the best ⭐️
16:30 の標語は何と書いてあるのでしょうか?
「何事も 軽く見○○○ 重い怪我」と見えますが、○が判りません…。
11:46 アメリカのケンワースのトラックが日本で働いているのを見るのは不思議です。 悲しいことに、それはおそらくずっと前に廃棄されました。
「宇部興産 ケンワース」でサーチしてみて下さい。
KENWORTH Australia のT610・T609・T608が走っています。
働く土木機械を見るのって、結構好きなんだよなァ(*´ω`*)✨
ロマンがありますよね😊
熊本県の椎葉ダム建設と良く似てます!
椎葉ダム昭和28年頃に起工式を動画見て感度しました。
まだまだ外国人の技術者に頼る時代でしたか🤔
外国人の姿が動画に見れましたよ確かではないですが?
その後黒よんダムの経験に生かされたと思います、日本発展の一歩ダム建設から始まったと思います。
平岡よりちょっと北に住んでいます。
1000kwで1人って言われた時代ですからね。
凄い時代です。
高熱隧道で有名な黒三ダム隧道貫通工事の資料はありませんか?
旧飯田線の佐久間トンネルは、どうやって閉塞したのだろう?
私には、分かりません。
それにしても、水没前の飯田線旧線一度乗車したかった。
映画「ふるさと」を思い出す
殉教者 96名か、行きたいな。
自分の血液を町の血液買取所に売って、生計を維持していた時代。
今ならダム建設反対~!から始まるんだよな
しかも工期よりずっと長い間・・
トレーラーはアメリカ製
殆どの技術は米国からのものなんでしょうけどね。 砂利サイズの呼称にインチ法を用いているのに象徴されている感じ。
当時の土木作業員の皆さんにとっては、目から鱗状態だったかもですがこのプロジェクトの成功が、後々の我が国の土木機械製造に絶大きなインパクトを与えたのは間違い無いでしょう。
まあ、既に米国では戦前の20年前にフーバーダムを完成させており、そのノウハウ、機材がふんだんに注ぎ込まれたとゆっても過言ではないでしょう。
スイスのダムでは佐久間ダム程には岩盤工事を施していないようですが、元々の岩盤の信頼性が日本のそれとは比較にならぬくらいに頑丈なんだろうと、うらやましく思いますね。
ダムと一口にゆっても、その付帯工事は半端ない規模となるのが良く判りますね。 佐久間ダム周辺の天竜川からは、良質なコンクリート用の砂利、砂が採れたことも、これだけのコンクリートを打ち込めた背景になっていると思います。
トンネル工事にジャンボとゆう削岩マシンをもちいており、どうもこれは我が国のアイデアみたいですね。 今日では巨大なシールドマシンにより、硬い岩盤でも何なく掘り進んでいきますが、、、
この頃から今も週休1日制って変化ないんだよね。
建設現場は、そのようですね。
そのかわり残業がほぼ無くて、大雨は休みのイメージ
第3部は!?!?
40:09 足軽の鎧、胴と陣笠じゃないか? 御先祖様の大切な物を、、、いや、あれはヤラセだな。
諦めたんだと思いますよ。この頃は文化財的な意識も今ほど高くはなかったでしょうし、引越しも今みたいなトラック輸送じゃないですからね。
空想だけどこの水を大井川に分けてやれればなぁ
車両という車両が、ほとんどアメリカ資本。
当時、小松などの国産機械も堤体の本工事に投入されましたが、過酷な現場に次々故障して工程を遅らせることから嫌がられ、それらは付属道路の整備などに移された結果、本工事は米国製の機械しか残らなかったようです。
きっとアトキンソン社が持ち込んだものや進駐軍工兵部隊の払い下げ、建設省や電源開発、間組が輸入したもの等、様々な出所の機械が混在していたことでしょう。
その結果、過酷な現場を多数抱えるゼネコンらは米国製を信頼するようになってしまい、中には輸入を専門に請け負う子会社を作ってしまう会社もありました。
このことからも、今では世界で信頼される日本製ですが、当時は現在のアジア製並みの扱いだったという事実が垣間見えますね。
48:46
わざと浮かべました
鯉は生きてるかも
両親が生まれる前だ!
❤🧡💛💚💙💜🤎🖤🤍
お!
間組第2段じゃあねーかよ。
この野郎~😁
鯉の放流の仕方が雑笑
ナレーションが1部に比べて,戦時中のような話し方なので違和感が …
48:44 この頃からヤラセ演出があったんだな…。